臨江寺(りんこうじ)境内にある小さい境内社。『近畿の民間療法』によると、臨江庵にある乳守宮は堺の乳神さまとして昔から信仰されたとある。昔はもう少し大きく2間ほどの大きさで「乳守堂」という扁額がかかっていたという。
「tumumasiのブログ」に資料からの情報が紹介されている。元は津守神社であったが津守が転化して乳守になったという話、乳守神社は古くは応神天皇にお乳を差しあげた神を勧請したと伝わるという話のほか、「乳女郎(ちじょろ)伝説」という次の話がある。
かつて楠木正成に仕えていた廓の遊女が、孤児になった正成の家臣の赤子を引き取ってここに願掛けしたところ乳が出るようになり子どもは立派な武士に育ったということである。その後この場所は乳の神さまとして、洗米を供えその供米を粥にして食べると必ず乳が出るようになると崇敬されたという。これらの情報の元資料は『乳守の由来記』とのことだが、入手できていない。
すぐ隣の区画一帯には戦前までは大きな遊郭があり、この伝承から乳守遊郭と呼ばれていたとのこと。現地には、小さい祠のほか乳守之旧趾碑がある。
龍興山臨江寺は臨済宗大徳寺派の寺院。承応元年(1652)に、堺の豪商で茶匠であった今井宗久の曾孫今井兼続が開山。近くの南宗寺の塔頭の1つで、以前は境内に多くの萩があり「萩の寺」と呼ばれていた。曽我十郎・五郎兄弟の供養塔、今井宗久累代の墓、千利休の師匠といわれる武野紹鴎(たけのしょうおう)の墓がある。
倉田正邦ほか:近畿の民間療法、明玄書房、1976年、p113 https://dl.ndl.go.jp/pid/12169957/1/60
松本壮吉:伝説の堺、歴史図書社、1978年、p58〜60
「tumumasiのブログ」https://ameblo.jp/tumumasi/entry-12498967689.html
ブログ「つーる・ど・堺」 https://toursakai.jp/2020/200227_rinkouji/
ブログ「ご昭和願います:乳守遊郭」https://yonezawakoji.com/yukakuakasen_sakai_chimori/2/#google_vignette
写真:奥 起久子撮影(2023/1/29)


