住所は五條市だが、紀伊山地の山の中、天ノ川沿いの集落から少し登った場所にある。鎌倉時代のものと考えられている薬師如来は、高さ75cm、「乳薬師」と呼ばれて遠くからも乳をもらいにくる人が多かったと『大塔村史』にある。
『日本産育習俗資料集成』には、薬師如来が「乳の神さん」と呼ばれてお参りされたこと、乳を授かりたい者と乳をあずけたいという者、どちらにも霊験があると記載されている。
興味深いのは、乳あずけは一般的に次子の出産に備えてとされているのだが、ここではタイミングが合えば預けた乳は乳が欲しいと願っている他人に授かるというのである。ここ以外には、三重県大紀町の頭之宮四方神社の乳湧石に、「余った乳を出ない人に授けてください」と願ってお参りされたという伝承があるのみで、それが記載されているのは珍しい。
注:実際「貰い乳」は普通に行われていたことで、他人の子どもに乳をあげるという考えが珍しいのではない。
佛心寺は山号を有徳山という曹洞宗の寺院。文安3年(1446)に一休禅師が再建したとき、真言宗から臨済宗に変更。この寺院は昭和になって2度の大火に見舞われ、重海上人が弘重4年(1264)に書き写し終わったという般若波羅蜜多経600巻が焼失してしまったが、本尊釈迦如来、薬師如来、聖観音は難を逃れて再建された寺院に祀られている。
恩賜財団母子愛育会:日本産育習俗資料集成,第一法規出版,1975年、p359
大塔村史編集委員会:奈良県大塔村史、1979年、p703〜705
写真:奥 起久子撮影(2024/1/16)