乳信仰探訪

明和5年(1768)の銘がある石のお地蔵さま
地蔵と一緒に移ってきた荘司の宮

下北山村下桑原は山間の集落。ここにある庄司大明神境内に、以前小口地区にあった乳授け地蔵が移されている。小口の地蔵に洗米と木綿糸12筋を供え、洗米だけタバって(お供え物を下げる)帰り、お粥にして本人だけで食べれば乳が授かるといって、遠方からもお参りに来たという話が『下北山村史』にある。12筋という理由は、乳が出るスジが12あるからとのこと。
地蔵は石の祠の中に安置されている高さ約40cmの光背のある舟型の石に掘られており、明和5年(1768)の銘がある。前の小さな手水鉢は「壺丸」と刻まれている。
12筋乳道の話は福井県と静岡県、和歌山県本宮町の「ちちさま」にも伝わっているが、資料に具体的な方法として記載されているのは、全国でこの場所だけである。
地蔵は小口集落にあった「庄司の宮(荘司の宮)」の参道入り口にあったが、集落が和歌山県七色ダム建設で水没することになったため、昭和41年(1966)に荘司の宮と共に現在の場所に移ってきた。お社は新しく建て替えられて庄司大明神となっており、地蔵は石段下の横の方に建てられている。
「庄司の宮」は以前は3軒、現在は1軒の旧家で祀っており、寛文6年(1666)の棟札が残る古いお社。庄司という落人を祀ったという話が『下北山村史』にある。

木村博一:下北山村史、下北山村役場、1973年、p892 https://dl.ndl.go.jp/pid/9572722/1/471
写真:奥 起久子撮影(2024/10/11)
取材協力:下北山村歴史民俗資料館

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