昭和初期の風習を記録した『日本産育習俗資料集成』宇佐郡の項に、「安心院村に一千年を越えるいちょうがあり、乳いちょうといい無数の乳こぶがついている。そのこぶを削って煎じて飲むと乳が出るという。今は削って分けている」とある。安心院村のどこかについての記載はないが、削って分けていると言う表現は、配布するような立場の所有者がいたと言うことでもある。
かつて妻垣神社にあったイチョウの巨樹以外に該当するものはないと思われるとのことで、児島論文「イチョウ巨樹の乳信仰」にリストアップされている。
環境庁データベースでは、イチョウは1988年時点で目通り幹周6.5mとある。主幹は途中で失われており、幹も半分に割れてかなり皮だけになっているがまだ生きている唯一の2000年時点の写真が『日本の巨樹イチョウ』にある。幹にチチが少しあるように見える写真が掲載されている。
妻垣神社は今は無住。近くにお住まいの神社理事のお話では、乳の祈願についての話は伝わっていないとのこと(2023年8月)。場所は頓宮前の広場の端の方で、現在両脇のひこばえが2本大きく育ち、主幹の残骸は僅かに認められるのみである。
恩賜財団母子愛育会:日本産育習俗資料集成、第一法規出版、1975、p364
堀 輝三ほか:日本の巨樹イチョウ、内田老鶴圃、2005、写真編p251、資料編p174
児島恭子:イチョウ巨樹の乳信仰─歴史研究の資料に関する課題─、札幌学院大学人文学会紀要、2018; 103:73〜85
写真:『日本の巨樹イチョウ』より、奥 起久子撮影(2023/8/20)