鎌倉時代末期の公卿で、後醍醐天皇の重臣として鎌倉幕府打倒勢力の中心的存在であった北畠具行(きたばたけともゆき)の墓で、国指定の史跡。この一基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が「ちち墓さん」と呼ばれ、界隈の母が子を生むと乳が十分出るようにと願をかけてお参りしたという話が『改訂総合日本民俗語彙』『山東昔ばなし』に記載されている。
塔の上部を傾け、もち米を入れて回転させて粉にし、重湯にして子どもに食べさせたといわれる。長くそのような使い方をされたと見えて、回転される部分はよく磨かれているらしい。『改訂総合日本民俗語彙』では「乳塚」という名前で紹介されている。
乳の祈願との関係だが、具行がこの場所で斬られて処刑されたので血の墓と呼ばれ、それがなまってちち墓さんとなり、乳の祈願を行う風習になったという説、または具行の子息が父を尋ねて墓参したことから父墓と呼ばれるようになったという説が『山東昔ばなし』にある。
墓所は山を少し登って行ったところにあり、北側の清滝からと南側の旧中山道の登り口からと両方から行くことができる。
民俗学研究所:改訂総合日本民俗語彙 第2巻、平凡社、1955年、p920
山東昔ばなし編集委員会:山東昔ばなし ふるさと近江伝承文化叢書、サンブライト出版、1977年、p137
写真:内岡 恵撮影(2023/11/1)


