神社というが社殿はなく、ご神体は高さ1.7m、幅1.5mの赤みを帯びた岩である。昔ながらの狭い道が残る住宅街の中の小さな公園の一角にある。岩上寺時代には、岩上さんと親しまれ、乳の出がよくなる授乳の神、子育ての神として深く信仰されていたという話が、京都市が立てた現地案内板にある。『京都記録叢書』には乳の出の祈願以外に、出過ぎる人の祈願のことも記載されているので、乳預けの一形態の祈願もあったと考えられる。
色々な逸話が伝わっている。元は二条堀川あたりにあった霊石といわれ、啜り泣いたり子どもに化けたりといった奇怪な現象があったため禿童石(かむろいし)と呼ばれて御所内に放置されていたが、寛永7年(1630)真言宗の僧侶が貰い受けて、有乳山(うにゅうざん)岩上寺の境内に祀られた。しかし享保15年(1730)の大火西陣焼け、天明8年(1788)の天明の大火で類焼して衰退し明治に廃寺となった。大正時代に大きな商家が岩上神社として祀ったが、現在は石と屋根だけのお堂と鳥居のみがある。岩神神社、岩神寺ともいう。
『越前若狭の伝説』には、福井県敦賀市の荒乳山(有乳山)にあった乳房岩を、宮中の女官の参詣が多かったことからお参りの便宜を図るため、後冷泉天皇時代の永承5年(1050)6月16日に京都に移したとの記載がある。この岩がそれなのかどうかについての情報はない。
田中緑紅:京都記録叢書 第三巻 京都神佛願懸重寶記、郷土文化研究会、1943年、p8
https://dl.ndl.go.jp/pid/1062521/1/14
杉原丈夫:越前若狭の伝説、松見文庫、1970年、p657
サイト「神社拾遺―岩上神社」https://jinja.kojiyama.net/岩上神社(式内%E3%80%80大柴神社)/
サイト「延喜式神社の調査―岩神神社」http://engishiki.org/yamashiro/html/020317-02.html
京都市公式サイト「上京区の史蹟百選」 https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012503.html
写真:奥 起久子撮影(2021/7/21)